この記事は、釧路 Advent Calendar 2013の12月19日分の参加作品です。


 街の空の色は、空きチャンネルにあわせたテレビの色だった。
 ギムレットには早すぎるが、マティーニには遅すぎる夜。俺は川沿いの道をいつも通り歩いていた。
 冷気をふくんだ撫でるような風が川の上を渡ってくる。繁華街から外れたこの通り。街はそろそろ喧騒の色を帯びてくる頃だが、このあたりはそんな騒ぎとは無縁だ。
 くわえていた煙草を捨て踏み出した靴で火を消すと、左に折れ路地に入っていく。
 居酒屋やバル、スナックの明かりを通りすぎて、いつものように奥のバーに向かう。
 扉にOPENの札がかけられていることを確認するかしないかぐらいで、俺はドアを開けた。カランと小さな音。
「いらっしゃい」
 こっちを見ること無くグラスを磨きながら、マスターが無愛想に言った。
 いつもどおり奥からニ番めのスツールに座る。
「さすがにこの時間は冷えるね」
 俺のどうでもいい世間話につまらなさそうな視線をむけると、
「12月だからな」
 言いながら、マスターはオールド グランダットの瓶に手をかけた。
「たまにはジンにしようかな」
 なにも答えずマスターはしゃがみこむと冷凍庫のドアを開けた。よく冷えたジンの瓶を台の上に置き、ショットグラスをその横に置く。メジャーカップではなくショットグラスに直接注がれるジン。その様子を眺めるでもなく眺めていた俺の前に、まず、コースターが置かれ、ついで透明な液体をたたえたショットグラスが置かれる。
 ちらっとバックバーの瓶を眺める。
 ショットグラスを手にとりゆっくりと口に運ぼうとする。そのとき、店のドアがやや乱暴に開けられた。
 若い男だった。少なくとも、俺とマスターよりは若い。薄汚れてはいるが高級そうなスーツに身を包んだ男。慌てているのか、走ってきたのか、スーツは着崩れており、ワイシャツのボタンは2つ目まで開けられていた。ネクタイは締めているが、その役割はすでに果たしていない。
 男は俺とマスターの顔を交互に見てから、やや消え入りそうな声で言った。
「わ、悪い…」
 それから、ドアを閉めかけてマスターの顔を見ると、
「呑ませてもらっても大丈夫ですか?」
「どうそ」
 マスターの手が指し示すまま、一つ開けて俺の隣に座った。
「そうだな…」
 視線でバックバーを追いながら男はひと通り店の中を見回すと、
「バーボンを…ストレートで」
 スーツのポケットからくしゃくしゃになった千円札を取り出すと、それをテーブルの上に置いた。
「これでお願いできますか」
 俺の時と同じようにコースターが置かれ、その上にオールドグランダットを満たしたショットグラスが置かれる。ジンより量が多い。
「これで…」
 そして、マスターは戻す手で千円札を取っていった。
 大きなため息を一つ。
 男はショットグラスを手に取ると、ゆっくりと口元に持って行き、そして舐めるように琥珀色の液体を味わった。
 グラスをコースターに戻して、スーツの内ポケットから煙草とマッチを取り出す。マッチをカウンターに置いて煙草を一本、くわえようとしてから、
「煙草…大丈夫ですか?」
「どうぞ」
 マスターがすっと灰皿を男の前に置く。俺の前には無い。
「ありがとうございます」
 男は煙草をくわえると、マッチをすった。店の中に満ちていくマッチの香り。
 マッチの炎で煙草に火をつけ、大きく吸い込む。吐き出される紫煙。マッチの香りの上に重なるように店の中に煙草の香りが満ちていく。
 そして、バーボン。
「あんた…」
 俺はやや大きめな声で男に話しかけた。
「はい?」
「釧路から来たのかい?」
 男は驚いたように目を見開くと、
「なんでわかったんですか?」
「そのマッチ」
 俺はカウンターの上に無造作に置かれた津軽と書かれたマッチを指さした。
「釧路にいたことが?」
 男の問に俺はうなずくと言葉を続けた。
「津軽のかーさんは、元気かい?」
「変わりませんよ」
 男は懐かしそうに煙草の先を見つめる。
「あいかわらず、これを食え、あれを食えと。あそこの冷えた串かつがみょうにうまくて」
「そうそう」
 俺は舐めるようによく冷えたジンを口に含むと、
「こっちは十分、飲み食いしてきて腹いっぱいだって言ってるのによ」
「なら、行かなきゃいいのに…」
「でも、かーさんに会いたくつい行っちゃうんだよな」
 そして、俺と男はたがいの顔を見合わせると声を出さずに笑った。
「じゃぁ、ちょっと津軽からは離れるけど…」
 俺の次の言葉を待ちながら、男は舐めるにしては多いバーボンを飲む。
「駅裏のホルモン屋は?」
「何回かは行ったかな…」
 そこで俺は店の名前を思い出そうと頭の中を懸命に漁ったが、ついに出てこなかった。
「なんて名前だっけ…」
「なんだっけ…えぇっと、あそこだろ。ホルモンがすげーうまいんだよな。あと、怪しい焼酎」
 男も一所懸命、頭の中を漁るが店の名前は出てこない。
「トイレが、また、すげーんだよな。よく覚えてる」
「なだ。あのトイレ、まだ直してないのかよ」
 嬉しくなって、つい俺の声も大きくなる。
「直す気ないんじゃかな」
 男はそう言うとバーボンを半分ぐらい飲んだ。
「懐かしいな…釧路」
 まだ半分残っていた煙草の火を消す。ショットグラスに残っていたバーボンを一気にあおる。
「気に入ったよ」
 男は俺を見てそう言い、マスターに向き直ると、
「ギムレットをもらおうかな」
 店にゆっくり流れていたジャズが消えて、ふっと静寂が店を支配する。
<<肉炒飯最高! 青椒肉絲!!>>
 日本人じゃない怒声が遠くから聞こえてくる。張り詰める空気。
「くそっ!」
 男は勢い良く立ち上がると、スーツの内ポケットからなにかを取り出した。
 銃だ。22口径の市販モデルじゃない。9ミリ?
「追われているのか?」
 俺の問いかけに男は答えずに背中を向けると、店のドアを開けようとした。半分ほど開けようとしたらところで、男の手が止まる。
「少しの時間だったけど、楽しかった」
 そして、男は店の外に消えた。

 どっちに行った…
 寝静まった市場の小路を俺は息を殺して歩を進めていた。
 カニ屋の横を通り過ぎて、昼間は賑わう立食い寿司屋の前で止まる。飲んでいる間にいつの間にか雨が降っていて、そして、やんだらしい。雨上がり特有の匂いが、市場の小さな小路に満ちている。
 さきほどまであちらこちらから聞こえていた中国人の怒声はもう聞こえない。
「あれで全員だったのか?」
 俺は右手に握りしめている冷たく金属質なものを、もう一度握り直した。できれば引き金を引かずにすませたい。
 小路と小路の交差点。
 息を殺してゆっくりを足を運びながら、慎重に視線をやる。
 左の暗がり。なにかいるようには見えない。
 そして、右。
 なにか音がして俺は反射的に38口径の銃口をそちらに向けた。同時に、俺に向けられる9ミリの銃口。
 銃口の向こうに見えた顔を見て、俺はほっと息を吐き出すと銃をおろした。
「無事だったか…」
「あんたか」
 俺と同じ動きで銃を下ろすと、男はゆっくりと立ち上がった。
「連中は?」
 油断なく周囲に視線を配りながら男が訊く。
「超過勤務が過ぎたみたいで、全員寝てるよ」
 俺は口元にかすかに笑みを浮かべると、
「煙草をくれないか?」
 男はスーツの内ポケットからマルボロを取り出すと、一本をくわえ、もう一本を俺に差し出した。津軽のマッチで互いの煙草に火をつける。
 二人は紫煙を同時に吸い込むと、ゆっくりと吐き出した。
「Aoneは知ってるか?」
 男はなにかを考えてる風に足元をみつめながら俺に聞いた。
「知ってるもなにも、あそこにはまだツケが残ってるぜ」
 俺は細く長く煙草の煙を吐き出すと、
「あそこのジントニックが好きで…」
「まだあれは見せてくれるのか」
「フレアバーテンディング?」
「そうそうそれだ。懐かしいな…」
 目を細めると、男は半分ほど残っていた煙草を足元に投げ捨てた。
「相変わらずキレキレなのか」
「変わらないキレキレのフレアバーテンディングだ」
 大きく煙を吸い込むと俺はゆっくりとそれを吐き出した。路地裏にマルボロの匂いが満ちていく。
「釧路に戻ればいいだろう…」
「それができれば、そうしているが…」
 男は足元でまだくすぶっていた吸い殻を踏み消すと、
「そうだ」
 胸ポケットから封筒を取り出した。
「もし、Aoneに行くことがあれば、これを女性のバーテンダーに渡してくれないか。一人しかいないはずだ」
 俺は男の顔と封筒を交互に見ると、
「ダメだな」
 そして、外に続く路地の向こうを見る。
「それは自分で渡せ」
 なにも答えずに男もじっと外に続く路地の向こうを見る。
 俺はコートのポケットに両手を突っ込むと、大げさに肩をすくめてみせた。
「冷えたな。飲み直そうか」
 路地の向こう側を見ていた男の視線が、俺の顔に動く。
「あんたが釧路に戻れる方法を考えなきゃならんし…」
 外に続く路地を数歩歩いて、俺は振り返った。
「それにまだ釧路にはいい店がいっぱいある。まだ、俺達はかど屋のつぶの話もしてないだろ」
 男が追いかけてきて俺の横に並ぶ。
「そうだな。虎やの話もしなきゃならん」
 ゆっくりと外に向かって俺達は歩き始めた。
「さっきの店に戻るのか?」
 男の問いに俺は首を振った。
「いや、さっきの店は…実はカクテルがそんなにうまくない」
 俺は腕時計をチラッと見ると、こう言葉を続けた。
「それに、ギムレットには早すぎる」
 俺達は互いの顔を見やると、いたずら好きな子どものような笑顔を浮かべた。そして、肩を並べて歩き出す。
 路地の向こうに見える空の色は相変わらず空きチャンネルにあわせたテレビの色だったが、街頭の明かりだけが眩しく俺達を照らしていた。

終わり


作品中には実在と同じ名前の店舗が多数出てきますが、実態と同じというわけではありません。
特にツケはききませんので、ご注意ください。
酒は現金。